コロナ禍でうしなわれたもののひとつに、「偶然の出会い」があります。
ふらっと入った居酒屋で、たまたま隣り合わせた人と意気投合する。
お気に入りのカフェに通ううちに、オーナーと仲良くなる。
知り合いが開催したイベントで、共通の趣味を持つ仲間が見つかる。
コロナ禍で、そうした「偶然の出会い」がなくなってしまったと感じている人も多いのでは。
短期的に見ればそんな毎日に退屈するかもしれませんし、長期的に見れば、「偶然の出会い」がないことは人生の選択肢をせばめることにもつながるかもしれません。
そんななかで、東京に今なお「偶然の出会い」に溢れている街があります。
それが、下北沢。2019年にイギリスの情報誌「タイムアウト」が発表した「世界で最もクールな街ランキング」で第2位に選ばれた、世界的にも注目される街です。
どうして下北沢では「偶然の出会い」が生まれるのか。そして「偶然の出会い」は、人生にどのような影響を及ぼすのか…。
下北沢に住んで42年、自らも下北沢で「偶然の出会い」をいくつも経験してきた下平憲治さんに、「今、下北沢に住む意味」について話を聞いてみることにしました。
「ピボットライフ探訪」とは
「ピボットライフ」とは、住まいとワークスペースを備えた家を起点に、街に点在するスポットを自由に行き来しながら都心での暮らしを能動的に楽しむ、「ピボットするライフスタイル」のこと。2021年9月オープン予定の「シェアプレイス下北沢」は、そんな「ピボットライフ」をコンセプトにしています。「ピボットライフ探訪」は、そんな「ピボットライフ」のかたちを探る連載です。
下平憲治さんのプロフィール
全国を飛び回る歯列矯正の専門医。下北沢東通り商店街副会長。今年で43年になる「下北沢ネバーネバーランド老舗ロック&ライブバー&カリー」のオーナー。2012、13バックギャモン日本選手権連覇。文壇将棋名人としてシモキタ名人戦を主宰。
シェアプレイス下北沢について、詳しくはこちら。
俳優も、会社員も、大学教授も、ミュージシャンもいるまち
—今日は下北沢歴42年で、長年下北沢のまちづくりにも関わっている下平さんに、「今、下北沢に住む意味」について聞いていきたいと思っています。
下平さん(以下、下平):はい、どうぞ遠慮なく!
—そもそも下平さん自身が、歯医者であり、40年の歴史を持つ老舗ロックバー「下北沢ネバーネバーランド」のオーナーであり、下北沢東通り商店街副会長であり、2012、13バックギャモン日本選手権の覇者であり…と、ユニークな経歴をお持ちです。
下平:ははは! そうですねぇ、本業は歯医者なんですけど、下北沢で会う人たちは僕のこと歯医者だって思ってないんじゃないかな。「ネバーネバーランドのしもへーさん」って呼ばれてますよ。
—下平さんのすごく個性的な生き方が、下北沢でこそ生まれるキャリアを象徴している気がするんです。そんなキャリアが生まれる理由について探っていきたいのですが、まずは単刀直入に、下平さんは「下北沢らしさ」ってなんだと思いますか?
下平:それはいろいろあるんですけどね。ひとつ言えるのは、「俳優から、会社員、大学教授、ミュージシャン、学生、起業家まで、いろんな人と出会えること」です。
—いろんな人と出会えること。
下平:2013年に下北沢が「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」にのったんですよ。そこに書いてあるのがまさにこの話です。「バックグラウンドの異なる人たちが共存しているのが、下北沢のおもしろいところだ」って。たとえばそこらへんを歩いてると、大河ドラマの主役をやるような名優たちが普通に自転車に乗ってたりしますからね。
—え! そうなんですか!?
下平:そうですよ。俳優じゃなくても、バーでたまたま隣になった人がミュージシャンだったり、著名な大学教授だったり、ってことはしょっちゅうですね。
—なかなか他の街ではない出会いですよね。
下平:この街にはヒエラルキーがないんですよ。芸能人だから偉いとか、大学教授だから偉いとかがない。「何をしてるか」っていう肩書きを、みんなそんなに気にしてないんですよね。それよりも、「どんな会話ができるか」の方が重視されているような気がします。
—今ってコロナ禍で、異なる価値観の人と出会う機会が減ったからこそ、日常の中でいろいろな人と出会えるのはすごく魅力的なことですね。
「下北沢に住んだら、人生なんとかなる」
—下北沢にいろんなバックグラウンドの方がいることの理由のひとつなのかもしれませんが、この街って、いろいろな生き方に対して寛容なイメージがあります。
下平:おっしゃる通りです。
僕は若い人たちが「下北沢に住んだら、人生なんとかなる」と思ってほしいんです。
—下北沢に住んだら、人生なんとかなる。
下平:演劇をやりたい、音楽をやりたい、自分の事業をやりたい…って思った人が、「とりあえずまずは下北沢に行ってみよう」って思えるような街にしたい。「あそこの街に住めば、いろんな人がいるし、誰かからきっかけをもらえはずだから、飛び込んでみよう」と。これまでも下北沢はそんな街だったし、これからもそうしていきたいんです。
—そうか…下北沢にいろいろなバックグランドの方がいるのは、「下北沢に住んだら、人生なんとかなる」ということを証明してるのかもしれないですね。
下平:そうですね。この街にいると、いろんな人生の先輩との出会いがあって、知らないことを教えてくれるんですよ。ふらっと飲みにいった居酒屋で、人生を変えるような出会いがあったりね。そういう経験って、決してお金に変えられないじゃないですか。僕も下北沢にいたから、おもしろい人生がひろがっていった一人ですしね。
下北沢に住んだから、人生の選択肢が広がった
—歯医者であり、老舗ロックバーのオーナーであり、商店街の副会長であり、バックギャモン日本選手権の覇者であり…。下平さん自身も、下北沢だからこそ個性的なキャリアを歩めてきたと?
下平:そうだと思いますね。ひとつの事だけやっていると、ひとつの世界しか見えなくなるでしょ。だけど、僕は下北沢に住んでいたことで、さいわいにもいろんな世界に関わることができました。もともと18歳で下北沢に来たときは、歯医者になるつもりだったんだですけどね。
—そもそもどうして下北沢に住もうと?
下平:僕は長野県の南の方にある下伊那郡豊丘村っていう村の出身で、1980年に歯科大学に進学するのを機に上京してきたんですね。
中学高校と音楽をやっていて、高校時代は軽音楽部でギターを弾いてたんです。それで、当時大好きだった山下達郎さんが「下北沢ロフト」っていうライブハウス でよく演奏をしてるって聞いて「下北沢に住んだら、山下達郎に会える」と思ったのが下北沢に住むことにしたきっかけ。ワクワクしてお店に行ってみたんですが、なんとその頃から「下北沢ロフト」はライブはやらなくなっていた。結局達郎さんとは会えなかったんですよ。
でもきちゃったものだから、「これから下北沢っていう街とどうかかわっていこうかな」って考えてるときに出会ったのが、「下北沢ネバーネバーランド」だったんですよ。
—「下北沢ネバーネバーランド」は下平さんが始めたわけではないんですね!
下平:そうです。1978年オープンした店が、今の場所とは別のところにあってね。河島英五の『酒と泪と男と女』が流れているなかで、おじさんたちが将棋を指してるような、不思議なバーで。そこで、上京してすぐの僕は日々通っておじさんと将棋をさして、ビールを奢ってもらうような日々を送ってました。
—それからどのような経緯でオーナーに?
下平:ずっとただの常連だったんですが、オーナーだった松崎博さんが2003年4月に亡くなり、大家さんの代替わりによる立ち退きも重なって、2005年3月に松崎博さんのパートナーである京子さんがお店を今の場所に引っ越したんです。
ただ、バー経営は大変だったようで、京子さんにある日「もう続けられない」と相談されて。僕は、「たくさんの人に愛されているこのバーををつぶすわけにいかない。正直バーで稼げるなんて思ってないけど、歯医者としての収入でなんとかしてでも、この店を守っていきたい」と思って、継ぐことを決意しました。2005年5月から実質的に経営に携わり、その3年後の2008年、テナント契約更新で正式にオーナーになったんです。
—常連だったバーのオーナー夫妻の思いを継いで、今に至るんですね。下平さんは音楽プロデューサーとしての活動もしてるそうですが、それも下北沢での出会いがきっかけで?
下平:そうですね。今はもう閉まっちゃったけど、かつて舞台俳優やミュージシャン が集まる「佳月」っていう小料理屋があったんです。タモリさんや沢田研二さ んも常連だったし、海外からはRolling Stonesがきたこともあったような店。 僕も若い頃そこに通ってね。
割烹なんで、いいお値段はするんですけど、当時の僕はお金なんてないからビール代だけ払って、あとはあまりものみたいな刺身をもらって居座って。そこでいろんな音楽関係の人たちと知り合ったことが今につながっていますね。
—本当に、下北沢に住んでいなかったらまったく違う人生を送ってたかもしれませんね。
下平:そうでしょうね。下北沢にきたときは、自分が将来何になるのかなんてわかってなかった。歯科大学に行くから、まぁ歯医者になるんだとは思ってたましたけどね。だけど、心のどこかで「いつかミュージシャンになりたい」って思ってたふしもあって。
結局今は、歯医者もやりながらロックバーのオヤジをやって、音楽プロデューサーとしても活動できてる。ある程度、昔の目標は達成できたんです。それは、下北沢だったからこそな気がしますね。僕自身が、「下北沢に住んだら、なんとかなった」ような人生だったんですよ。
一歩踏み出すと、この街で得られるものが変わってくる
—「下北沢に住んだら、人生なんとかなる」というのは、言いかえればこの街に来るとキャリアの選択肢が広がるということだと思うんです。
「ピボットライフ」をコンセプトにした「シェアプレイス下北沢」が2021年9月にオープン予定ですが、入居を検討している方のために、この街でキャリアを広げて行くための秘訣を教えていただけますか?
下平:もちろん、ただ入りやすい飲み屋で飲むのも楽しいですけどね。この街にきたら、勇気を持って一歩踏み出すかどうかで、得られるものは変わってくると思いますよ。
—勇気を持って一歩踏み出すこと。
下平:たとえば、気になるけど入りにくバーがあったら、勇気を出して入ってみる。そうすると、あたらしい世界が広がるはずですよ。たまたま隣だった人が俳優で、その人と話すうちに演劇に興味を持って、劇場に行くようになって、次第に演劇に関わる仕事をしだして…みたいなことが、一歩踏み出してみれば起こると思います。
—なんか、「一見さんお断り」みたいな店もあるのかなと思っていました。
下平:基本的に下北沢の人って、新しくきた人にすごく寛容なんですよ。「今日はじめてきたんです」「そうか、いろいろわかんないだろうから教えてあげるよ」みたいな、お節介な連中がいっぱいいます。みんなかつて初めて下北沢にきたとき、同じような立場だったわけだから、気持ちがわかるんだよね。
それに、下北沢は素でいられる街ですよね。「今日はすっぴんできちゃった」みたいなことが許されるような関係性が、この街ではすぐつくれます。まだあまり下北沢に馴染んだいないときに行くなら、まずは「すずなり横丁」の飲み屋はいいかもしれないですね。若者が集まる店がたくさんあるので、ぜひ一歩めとしてチャレンジしてみてください。
まちのなかに、一人ひとりのリビングがある
—最後に、下平さんの下北沢でのおすすめのすごし方を教えていただけますか?
下平:下北沢って、街のなかに一人ひとりのリビングルームがあるんですよね。その人がほっと落ち着けるような場所。「下北沢ネバーネバーランド」も、みんなから愛されるリビングルームになっていると思うし。うち以外にも、その人なりのリビングルームが見つかるはずです。
—一人ひとりのリビングルーム。いい言葉ですね。
下平:たとえば仕事終わりに、中華料理の「珉亭」にいって「らーちゃん(筆者註:「珉亭」の定番メニューである、赤いチャーハン、江戸っ子ラーメンのセット)」を食べて家に帰るとか。あとはカレーの店もめちゃくちゃあるから、お気に入りのカレー屋を見つけるのもいいですね。
「昨日飲んだくれたな」って日は、喫茶店やコーヒーショップに行くといい。「こはぜ珈琲」っていうコーヒーショップでは、お手頃な値段で美味しいコーヒーをいただけますよ。下北沢はそういうちっちゃなコーヒーショップがいっぱいあるんですね。
文化に触れたいんだったら、一番手軽なのは古着屋ですね。古着屋はもちろんたくさんあるし、最近だと「下北線路街」で屋外で古着を売ってたりするから、そこでスタッフと古着談義をするのも楽しいですよ。
あとは、レコード屋もたくさんあります。「フラッシュディスクランチ」っていうレコード屋があるんですけど、オーナーが本当に音楽に詳しくて、「こんなのありますか」って聞いたら全部答えてくれますよ。
もうちょっと文化・芸術に踏み込んでみたいのなら、芝居ですね。劇場に入るのは最初はハードルが高いかもしれないけど、思い切って入ってみると、「意外とおもしろいじゃん」って思うはず。そうやって一歩踏み込むと、どんどんこの街での暮らしがおもしろくなるはずです。
—なんだかお話を聞いていて、下北沢という街をもっと深掘りしてみたくなりました。
下平:それは嬉しいですね。今日こうして取材してもらえたのもありがたいご縁ですし。僕はだいたいお店にいるか、この辺で飲んでるから、見かけたら気軽に声をかけてください。下北沢のこと、もっとたくさんお伝えしますよ!
下北沢で、ピボットするように暮らす
…
「偶然の出会い」とは、私たち一人ひとりの人生をかたちづくるかけがえのないものでありながら、コロナ禍でうしなわれたもののひとつでした。
でも、まざまな人が、店が、文化が、およそ1㎢のなかで共存している街、下北沢でなら。
「偶然の出会い」が日常の風景になって、人生が自分の想像を超えるユニークなものになっていく–。そんな期待に、胸がふくらみます。
まるでピボットするように、下北沢にあるお気に入りの場所を行き来し、さまざまな人や価値観や文化と出会いながら、自由に人生をつくっていく。そんな「ピボットライフ」が、下北沢でなら実現できるかもしれません。
(文・写真 山中康司)
…
…